
一通のメールに詰まった一年の愛
これは2026年3月、別れの直後に書いたものだ。そのあとで文章を書き直した。それでも、あの日々を僕がどう過ごしたのか、僕の側から見た物語を記した日記の一ページであることに変わりはない。
この投稿をどこから始めればいいのかわからない。恋人が自分の人生にいてくれることが、あんなにも心地よかった。少し難しい日が来ても、僕たちがお互いのもとへ戻れることを、心から願っていた。
1月の終わり、長い時間をかけて書いた手紙を彼女に読み上げた。何が足りないと感じているのか、何が必要なのか、どれほど彼女を愛しているのかを、言葉にしようとした。一緒に人生を分かち合っていると、もっと感じたかった。そして、聞いてもらえたと感じた。
カーニバル休暇の終わりに、彼女はここに2晩泊まった。朝は彼女が先に目を覚まし、ソファに座って僕の毛布をかぎ針で編んでいた。なんて幸せだったんだろう。ただ恋人の隣で眠り、あんなにのんびりした週末を過ごす。土曜日にはサウナへ行く。休憩室で一緒に1時間眠ってしまう。本当は、それ以上何もいらなかった。
だからこそ、こんなに痛いのかもしれない。あの普通の、温かい時間も確かにあったから。そこで僕は幸せだったから。
そのあと、何かが変わるのを感じた。彼女は一人でいたがっていた。何度か訪ねて、そのうち一度は事前に知らせずに行った。驚かせて喜んでもらいたかった。彼女は喜ばず、ひどく疲れて見えた。僕にとって愛情の表現だったことが、そのときは明らかにそう受け取られなかった。
時間が必要だと言われたとき、僕は彼女に余裕を与えて、週末が終わったら連絡すると答えた。その間も、体の中に落ち着かなさを感じていた。何かがよくない。ただ、それが何なのかわからなかった。
そして、その土曜日の夕方にメールが届いた。1年間一緒に過ごしたあとに。旅をして、笑って、お互いを気遣って、いつしか僕の暮らしの一部になっていた小さなことの数々のあとに。関係を終わりにするというメールだった。
理解できなかった。
自分が、消してしまえるチェックマークのように思えた。僕たちが分かち合ったすべてが、急に僕の思っていたよりずっと小さな意味しかなかったかのように。そのとき僕の中を通り過ぎていたのは、そんな感覚だった。彼女にとって何を意味していたのかは、わからなかった。
その1週間、毎朝5時ごろに目が覚めた。最初の数秒はまだ思い出していない。それから戻ってくる。ああ、そうだ。終わったんだ。しかも、あんな形で。1日が始まる前から、またあの痛みがやってくる。
話し合いが必要だった。目の前に誰かがいてほしかった。たとえ答えが痛くても、何が起きたのかを尋ねたかった。あのときのメールでは、なぜ僕たちがここに至ったのかを理解できたとは感じられなかった。
メールは弁護士から来るものだ。あるいは、行政罰の支払いについてヘント市から来るものだ。そんな考えが頭を離れなかった。もちろん、口では言えないことをメールに書く場合もある。僕には、そのとき、そんな形で別れを受け入れなければならないことが、ひどく難しかった。
メール。一通のくそったれなメール。
悲しかったし、怒っていた。敬意を持ち、相手に余裕を与えながら、それと同時に自分のためにも立とうと、一生懸命やってきた。あの手紙では、自分を押し殺すのとは違うことをしようとした。今度こそうまくいってほしかった。
古い何かにも触れていた。足元の地面がずれていく。神経系全体が限界だった。その週末、頭の中があまりに暗くなって、一時はもう先へ進みたくなくなった。こう書くのは難しい。でも、当時どれほど深く落ち込んでいたかの一部でもある。
娘たちにそんな姿を見られることもつらかった。泣いて、途方に暮れて、しばらく何もわからなくなっている父親。子どもたちには、できるだけいろいろなつらさを味わわせたくない。それでも、ときには自分自身が、その夜をどうやって過ごせばいいかわからずに座っている。
その時期にはAIも使った。どう言葉にすればいいかわからなくなり、自分のいつものパターンから抜け出したかったからだ。恋愛の中で自分を後回しにしてしまうことがあると、自覚している。人生に誰かがいるだけですでにうれしいから。自分に必要なことを言えるようになりたかった。一緒に過ごす時間。思いやり。自分にも居場所があるという感覚。
その混乱の中で、僕もきつい反応をした。聞いてほしかった。振り返った今は、自分自身の言葉にも責任を持ちたい。僕の痛みは本物だった。でも、その痛みから書いたことのすべてが、お互いを理解する助けになったわけではない。
彼女を心から愛していた。メールが来たからといって、急に消えるものではなかった。もしかしたら、それがいちばん難しかったのかもしれない。相手に怒っているのに、同時に、ただ隣に来て座ってほしくてたまらないこと。
いつか娘たちがこれを読んだら、お父さんだって、いつもどうすればいいのかわかっていたわけではないと知ってほしい。愛していて、怖がっていて、精いっぱいやっていて、ときには自分を持て余していたんだと。
もしあなた自身が、いつかこんな悲しみを感じたら、恥ずかしがる必要はない。誰かが恋しくても、それと同時に、傷ついたことを伝えていい。気遣いと、はっきりした説明を求めていい。そして、あまりに暗くなったら、誰かに話してほしい。一人で抱えなくていい。
今はとりあえず、自分を立て直そうとしている。まだ全部を理解できたわけではない。
ため息。